東日本大震災から早一年

こんにちはorこんばんは
ロウタです!
さて、今日3/11は東日本大震災から早一年。
被災地では未だに復興があまり進んでいません。
ここで、私はちょうど一年前の話をしようと思います。

2011年3月11日(金)の午後、私達は体育の授業でサッカーをしていました。
私は運動神経がクラスで一番悪いので、ただ走っているだけでした。
その真っ最中に、ゴールキーパーをやってた人が、
地震だ!」
と叫んだのです。
それと同時に人生で最大の震度5弱の強い揺れが襲ったのです。
避雷針・ライトは折れんばかりに揺れました。
何だか分からないけどものすごい音がしました(資材置き場が隣にあるから?)
私の学校の目の前のマンションがゆっくりと横に大きく揺れていました(のちに長周期地震動だと分かりました)
揺れは次第に収まりましたが、体育館で授業をしていた女子が飛び出してきて、あたりは騒然。
笛で先生が緊急招集をかけました。
「この地震だと家の物とか倒れてるかもね。ゴールが倒れてくるのが怖かったらゴール無しでやって良いから。はい、再開!」
えっ、再開!?
私は驚きました、大地震が来てもあっさりと授業を再開してしまう先生に。
でも皆は落ち着く訳がありません。
サッカーをやりながらも、なんか皆のテンションがいつもと違う気が…。
そう思っていたら、目の前を消防車が通過。
サイレンは鳴っていませんでしたが(多分地震の被害状況を調べてたんだと思う)、何か嫌な予感が…。
そして授業終了のチャイムと同時に、
ピンポンパンポーン♪
「ただいまより、地区別集団下校を開始します。荷物を持って、校庭に集合しなさい。」
やはり嫌な予感は的中。部活ももちろん中止。
急いで教室に戻った。
なぜこの時に限って…
私は今、そう思います。
「教科書類は今日に限り全部置いていっても構わない」
そう先生が言っていました。なのに…
誰よりもパニックになっていたせいか、教科書をバッグに詰め込むのに必死になっていた(笑)
そこで先生に、
「早く逃げなさい」
と怒鳴られました。
その時には教室には誰もいなく、教科書をバラバラにしたまま逃げたのでした(汗)
どうにか逃げ出せた私は、でっかいライトの真下で靴紐を結んでいました。
そしたら、
ドワドワ!!!!!!!
と震度4の最大級の余震が!!!
「逃げろ」
と言われたので無我夢中で逃げた私なのでした。
皆が集まった後、先生達は緊急会議中。
余震が連発し、生徒達はざわめきます。
すると一人の先生が、
「うるせえよ、聞こえねえんだよ!」
とキレてしまいました。
そして、集団下校。
・・・
町は思ったより被害を受けてなかったので、とりあえず一安心。
ところが…
家のあらゆる物は倒れ、ガスの遮断装置が作動。
テレビでは津波の生中継が。
電話・メールも繋がらないし。
お父さんも電車ストップで帰宅困難者に。
明後日に模試を控えているにも関わらず、全く勉強できず…。
でも、それで終わりではありませんでした。
翌日の午前6時過ぎ、
ポロンポロン、ポロンポロン♪
不気味な防災無線からの緊急地震速報の音が…。
防災無線からの緊急地震速報は初めてでした。
まだ油断できないのでありました。

なんだかんだ書きましたが、被災地の皆さんは私なんかよりも何百倍もの恐怖を感じたことと思います。
犠牲者のご冥福を心からお祈りすると共に、今後のいち早い復興を心よりお祈り申し上げます。
以上です!!